原稿用紙2枚分

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朝やることがない

朝起きてやることがない。

睡眠時間をとにかく確保したくて、以前よりずっと早く、約1時間程度余裕をもって就寝するようになった。それはそれでめでたいことだ。しかし、夏至に向かって太陽の上る時間はどんどん繰り上がっていく。どんな時間に寝ても、カーテンを閉めていても、明るくなって目が覚める。以前は明るくても起きられなかったことを思えば大変な進歩ではあるが、睡眠周りが健康になるとこういうことになるのか……と、何度も”二度寝”しようとして失敗している。

朝早く起きたなら、その時間を人生に対して有意義なことに使えば――例えば英語の練習とか、読書とか――「人生が豊か」になりそうなものだけど、目が冴えている割には頭は鈍く、朝のうちにインプットしたことが定着する手応えはない。そもそも朝に本を読んでもなぜかあんまり楽しくない。スマホTwitterを見るくらいならストリーミングに近いのでいくらでもできるのだけど。

しょうがないので美顔器を転がしまくったり、伸ばせそうな手足をストレッチしたりしている。

MTG ReFa CARAT (リファカラット) PEC-L1706

MTG ReFa CARAT (リファカラット) PEC-L1706

何しろ夫は横で寝ており、勤務の都合上しばらく寝かせておくしかないので、「音を立てない何か」でないといけないという縛りがある。一度だけ、ウォーキングに出かけてみたことがあったが、帰りは成功したけど行きは突如起き上がって「どこに行くの?」と素朴に聞かれてしまった。そりゃ普段スポーツをしない妻が朝っぱらから外に出るのはおかしい。

こういう時に、もともと好きだった刺繍をちくちく始めたり、興味のある電子工作に取り組んだりすればいいんだけど……上記の通り、頭は鈍重なままなので、糖分を入れようが何をしようがすっきりしゃっきり気持ちいい目覚めとまではいかないのだった。ただ起きていて二度寝できないだけ。しょうがないので、美顔器を体中走らせまくっている。

愚か者

まあまあ長いこと生きていると、「前に言ったことややったことを踏まえずに、その瞬間の自分が思ったことを投げかけてくる」という人にぶつかることがある。短いスパンだけではなくて、短期中期長期全部。その時の自分の利だけを考えているのかな?と思うこともあったけど、そういうタイプの人たち(クラスタではくくれない)はどうも「前後のつじつまが合わない」「以前の発言と食い違う」ということについて、すべて放り投げているように見える。前にこういうことがあったから、次はこうしてみているけど……というのは一切考慮されない。都合よく忘れていたりごまかしたりする様子もない。事実に向き合わない、と表現するとネガティブ過ぎる。事実はそう「だけど」のような、接続詞が一切ないのだ。

私は過去の出来事についてひたすら覚えていたり、それが直接当事者の利害関係につながる場合は事細かに前後の雰囲気まで記憶しておこうと努める性質の持ち主なので、上記のようなタイプの人のことが全く理解できない。私自身がかつて言ったことを失念しており、それが相手に対して失礼であったことを指摘されると、ほんとすみませんと土下座したくなる。上記のタイプに入る人の行動は、関係者にまつわる過去の言動などをすべて放り出して突如自分の主張を始めてしまう。私は愚かなので「これらはおそらくとても私に対して失礼だと思う。しかし本当にそうであるか確信が持てない。合っているか?」を、信頼する人にいったん確認してから対応を考える。完全にただのばかである。

何しろ前後の文脈や因果関係を超越するので、例えば手紙であったりメールであったり、文章になっているものがあれば、繰り返し読み返して本意を確認しようとする。時間をおいて見方を変えてみようとして、何度も接触するので、その行動が後から自分自身を苦しめる。無視して、相手と同じように放り投げて、日常に戻ればいいだけなのに。

意図せぬスマホ断ち

とある温泉施設ののんびりスペースよりお送りしております。

子どもの頃から「温泉や銭湯など、公共の場のお風呂が苦手であった、なぜならその場の暗黙の了解がわからないしどう振る舞えばいいのか見当がつかない」という感じで過ごしてまいりましたが、身体の血行を良くするには入浴が良いといろいろな場所で言われ続け、しぶしぶ「あかすりに行く」という言い訳を自分の中に作って出向いてから2年ほど。ようやく「リラックス効果を得るために温泉施設に行く」というシナプスが形成され、ごろごろだらだらと過ごす日が3〜4ヶ月に1回ほどできるようになりました。一時期は頻繁に通い、「大丈夫だ、特に他の人に迷惑をかけるような行為さえしなければどんな順番で入浴したりくつろいだりしてもよい」とまで思考回路を矯正することに成功しました。そもそも他の人に対して意図的に迷惑をかけようとするなら、泡だらけで浴槽に突撃するとか、シャワーをまき散らすとか、まあまあ激しい行動に出ないと難しいわけで、私が突然そのような行為に及ぶかというと結構難易度が高いのであります。

昨今のサウナブーム・温冷の交互浴までには乗っていないので、「ととのう」と表現される状況・状態を会得するまでには到達していませんが、サウナコーナーで汗をかく体験はそれはそれで普段ないことなので面白い。効果があるのかないのかぴんとこない「塩サウナ」もアトラクションとしては面白い。何より、大浴場にいる時には物理的にスマートフォンのたぐいは使用できないため、考え事をするかぼーっとするかしかできない(自宅では烏の行水です)。強制的なスマホ離れ・SNS離れ・仕事離れになるので、自分の意志で「スマホ断ち」をしなくても、数時間ほど画面から離れないといけない。これが意外に、良い効果になっていそうです。

今日は漫画「動物のお医者さん」(佐々木倫子)9〜12巻を読みました。面白かった。

己を知る

ちょっと前に骨格診断とパーソナルカラー診断を受けてから、やたらとユニクロなどで服を買いまくっていた。ZOZOTOWNも使った。リップをきちんと塗れば顔色の発色がまるで違うということを鏡の前で知ってから、何を塗っても皮がべろべろ剥けるからとあきらめていたリップ関連に再度チャレンジし始めた。年を取ると貧相になってゴージャスなジュエリーやアクセサリーしか合わなくなるんだなぁ、と思っていたのは思い込みで、シンプルなシルバーのもの、ただしチープ感はだめ、という思いのほか財布的に厳しい感じの装飾品が似合うようだったから、楽天Amazonで無理のない範囲でダイヤモンド入りのネックレスを買うなどした。本当は柄のはっきりしたシルクのスカーフがあるといいそうだけど、さすがにまだ使いこなせないっす……と手を出さずにいる。

これらのトライが実を結ぶに至るのかどうか現時点では不明だが、「己のことを知る」という話はかなり大事だと認識できた。仕事に置き換えると、よくありがちな「自分の強みと弱みを把握して云々」と収まるかもしれない。でもさらに「この面ではだいたいできるから応用可能」「この面は研鑽が必要かつそれを自覚できていない」とまで細分化すれば、これまで苦手だったネット通販での買い物がさくさくできたように、苦手な分野でも取り組む意欲が湧くのだろう。

アンガーマネジメントがめちゃくちゃ苦手で、得意そうなのではと思う人何人かに話を聞いたところ、「◯◯さんは優しいのだと思う」とアドバイスをもらった。自分では優しいだなんてちっとも思っておらず、むしろ冷たすぎるのでは?と感じているのだが、外から見る自分が外での自分なのだから、どこか甘い面、思い切りや覚悟が足りない面があるのだと認識できるようになった。あとは、日々鍛錬、なのはわかっているが、常に考えながら振る舞うと自分に無理が出るわけで、課題は山積みである。

歩け歩け

運動がとにかく嫌いで、ジョギングも自転車もやる気にならなかった。「運動をした後の爽快感」を得たことがなく、自分はこのまま運動とは無縁で生きていくのだろう、ヨガやタップダンスやポールダンスに心惹かれることはあるけど何もせず生涯を終えるだろう……と思っていたら、健康上の理由で「身体を動かせ」といろいろな方面から言われた。相手は複数の医者である。しかも生活習慣病だと診断された上で運動を勧められたのではなく、ストレス発散・健康維持のため。強制力はない。

そんなところにふと思いついたのが「歩行」だった。

サーロインステーキ症候群―医学的に楽しくやせる本 (ちくま文庫)

サーロインステーキ症候群―医学的に楽しくやせる本 (ちくま文庫)

大学生の時に出会い、読み物として非常に面白かったので何度も読み返した。「うどんを頼むときにはタンパク質があるものを選ぶ」という習慣ができた。

ふと再度読みたくなったが、今は中古しか流通していない。Amazonマーケットプレイスで取り寄せた本を再読したら、「散歩ならできるかもしれない」となぜか思えた。服装をそろえなくても適した靴さえはいていれば適当にどこまでも歩けばよい。Googleマップで距離を測って適当な場所を設定し「無理だったら公共交通機関で戻ってこよう」という気持ちで臨むと気楽になった。面白いもので、2km歩いたら「おっ、もうちょっと歩けるかも」と思い、次はもう少し距離が伸びる。Ingressをやったり風景写真を撮ったりしてもOK。ウォーキング的な姿勢でなくても、背筋と足の動かし方さえ気をつければ案外筋肉に負荷はかかっている模様。

ストイックになりすぎると面倒になるので、ごほうびセッティングも忘れない。「ここのカフェに入るか」程度で案外やる気になるものだ。Googleマップを後から見ると「たったここまでしか行けていないのか」とがっくりして、もっともっとその先に行きたくなる。楽しさよりは収集癖に近いのかもしれない。

看病と新年

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨年12/28に仕事納め、翌12/29に「わーい6連休だ、ゆっくり本や漫画を読むなどして過ごすぞ」と思ったのも本当につかの間、夫が風邪で寝込み、そこから1/2までまるっと看病らしきことをして過ごしていました。幸い胃腸には来ていなかったのでなるべく野菜多めで温かい食事を作ったり、プチ大掃除*1をしたり。

風邪だというのに夫が起き上がったりスマホでゲームをしたりするので「頼むから寝ててくれ!頼む!」という気持ちになった*2ものの、ふと、これが「いずれ健康に戻るのを前提とした看病」ではなく「ずっと治らない、あるいは治りづらい病気による介護」だったら……と思うと、長く床についている方々、その介護にあたっている方々、どちらの心境も少し想像できてしんみりしてしまったのでした。義父(故人)の付き添いを継続的にしていた時期があったのですが、義父にも思うようにいかないことだってあっただろうに、大変我慢強く最期まで頑張ったんだなぁ、と当時を思い出しました。主治医の先生からも「大変立派な患者さんでした」と言っていただけたし、些細な用事を済ませた私に必ず「ありがとう」という言葉を欠かさなかったし。実子たちにとってどんな存在だったかわかりませんが、私にとっては「うまく線引きをしてくれる義父」でした。そういやうちにお仏壇があるのですが全く何もしていない。浄土真宗なのでこうして思い出すくらいでちょうどいいのでしょう。

結局1/3の今日まで年末年始らしいことはせず、明日1/4はもう仕事始め。手帳を新しくして睡眠こそゆっくりとったものの、気分的にはあんまり「休めた」という手応えがないまま終わりそうなので、どこかのタイミングで別途有休を取り、大きな温泉施設にでも行って1人でのんびりしてこようと思っています。

*1:大とは?

*2:実際に言いました

ナボナでおやつテロ

職場へのおやつテロをたまに仕掛けています。特に何の理由もなく、京都オフィスの誰か(だいたいチーム単位とか場所単位とか)宛に、通販で買ったおいしそうな何か、品川駅で手に入るような駅ナカスイーツなどを押し付けます。素直に分けて食べてもらえるととてもうれしい。一度おやつテロに慣れていないグループに突然おやつテロを仕掛けたら、そのグループのメンバー多数が困惑していて、そのときは申し訳ないことをしたなと思いました。

この間少し遅れて出社するとき、そういえばあまり東京オフィスにはやったことがないや、と思い当たって(ポテチパーティーしようぜ!と無理矢理ポテトチップス4種類くらいをおやつコーナーに置いたことはある)、寄り道して亀屋万年堂ナボナを買っていきました。以前同僚が「特にどこにも行っていないけどお土産です」とナボナを買ってきてくれた行為のパクリです。さすがに全員分買うと大変な額になるので、程よい個数のセットにしました。亀屋万年堂のお菓子は、ナボナにしてもママンミールにしても、プレーンなものの方が美味しく感じるのですが(私見です)、詰め合わせる場合は期間限定の味が優先されるのを初めて知りました。

ナボナといえば「お菓子のホームラン王」のキャッチフレーズで巨人の王選手(当時)がCMに出演していたことで有名なはずなのですが、関東ローカルのCM、かつ亀屋万年堂自体が東急線沿線を中心に店舗を出しているため、東京以外の出身の人は「ナボナ」という固有名詞にそもそもなじみがないようです。自分自身、神奈川出身だけど「ありあけのハーバー」が横浜銘菓であること、全然知らなかったしなぁ。

これまで一番好評かつ手応えのあったおやつテロは、大阪にある芋菓子屋さん「嶋屋」の「ポテト」です。大学いもっぽいけど大学いもとはちょっと違う。うまいです。