原稿用紙2枚分

はてなブログの文字カウンターで800字分

歩け歩け

運動がとにかく嫌いで、ジョギングも自転車もやる気にならなかった。「運動をした後の爽快感」を得たことがなく、自分はこのまま運動とは無縁で生きていくのだろう、ヨガやタップダンスやポールダンスに心惹かれることはあるけど何もせず生涯を終えるだろう……と思っていたら、健康上の理由で「身体を動かせ」といろいろな方面から言われた。相手は複数の医者である。しかも生活習慣病だと診断された上で運動を勧められたのではなく、ストレス発散・健康維持のため。強制力はない。

そんなところにふと思いついたのが「歩行」だった。

サーロインステーキ症候群―医学的に楽しくやせる本 (ちくま文庫)

サーロインステーキ症候群―医学的に楽しくやせる本 (ちくま文庫)

大学生の時に出会い、読み物として非常に面白かったので何度も読み返した。「うどんを頼むときにはタンパク質があるものを選ぶ」という習慣ができた。

ふと再度読みたくなったが、今は中古しか流通していない。Amazonマーケットプレイスで取り寄せた本を再読したら、「散歩ならできるかもしれない」となぜか思えた。服装をそろえなくても適した靴さえはいていれば適当にどこまでも歩けばよい。Googleマップで距離を測って適当な場所を設定し「無理だったら公共交通機関で戻ってこよう」という気持ちで臨むと気楽になった。面白いもので、2km歩いたら「おっ、もうちょっと歩けるかも」と思い、次はもう少し距離が伸びる。Ingressをやったり風景写真を撮ったりしてもOK。ウォーキング的な姿勢でなくても、背筋と足の動かし方さえ気をつければ案外筋肉に負荷はかかっている模様。

ストイックになりすぎると面倒になるので、ごほうびセッティングも忘れない。「ここのカフェに入るか」程度で案外やる気になるものだ。Googleマップを後から見ると「たったここまでしか行けていないのか」とがっくりして、もっともっとその先に行きたくなる。楽しさよりは収集癖に近いのかもしれない。

看病と新年

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨年12/28に仕事納め、翌12/29に「わーい6連休だ、ゆっくり本や漫画を読むなどして過ごすぞ」と思ったのも本当につかの間、夫が風邪で寝込み、そこから1/2までまるっと看病らしきことをして過ごしていました。幸い胃腸には来ていなかったのでなるべく野菜多めで温かい食事を作ったり、プチ大掃除*1をしたり。

風邪だというのに夫が起き上がったりスマホでゲームをしたりするので「頼むから寝ててくれ!頼む!」という気持ちになった*2ものの、ふと、これが「いずれ健康に戻るのを前提とした看病」ではなく「ずっと治らない、あるいは治りづらい病気による介護」だったら……と思うと、長く床についている方々、その介護にあたっている方々、どちらの心境も少し想像できてしんみりしてしまったのでした。義父(故人)の付き添いを継続的にしていた時期があったのですが、義父にも思うようにいかないことだってあっただろうに、大変我慢強く最期まで頑張ったんだなぁ、と当時を思い出しました。主治医の先生からも「大変立派な患者さんでした」と言っていただけたし、些細な用事を済ませた私に必ず「ありがとう」という言葉を欠かさなかったし。実子たちにとってどんな存在だったかわかりませんが、私にとっては「うまく線引きをしてくれる義父」でした。そういやうちにお仏壇があるのですが全く何もしていない。浄土真宗なのでこうして思い出すくらいでちょうどいいのでしょう。

結局1/3の今日まで年末年始らしいことはせず、明日1/4はもう仕事始め。手帳を新しくして睡眠こそゆっくりとったものの、気分的にはあんまり「休めた」という手応えがないまま終わりそうなので、どこかのタイミングで別途有休を取り、大きな温泉施設にでも行って1人でのんびりしてこようと思っています。

*1:大とは?

*2:実際に言いました

ナボナでおやつテロ

職場へのおやつテロをたまに仕掛けています。特に何の理由もなく、京都オフィスの誰か(だいたいチーム単位とか場所単位とか)宛に、通販で買ったおいしそうな何か、品川駅で手に入るような駅ナカスイーツなどを押し付けます。素直に分けて食べてもらえるととてもうれしい。一度おやつテロに慣れていないグループに突然おやつテロを仕掛けたら、そのグループのメンバー多数が困惑していて、そのときは申し訳ないことをしたなと思いました。

この間少し遅れて出社するとき、そういえばあまり東京オフィスにはやったことがないや、と思い当たって(ポテチパーティーしようぜ!と無理矢理ポテトチップス4種類くらいをおやつコーナーに置いたことはある)、寄り道して亀屋万年堂ナボナを買っていきました。以前同僚が「特にどこにも行っていないけどお土産です」とナボナを買ってきてくれた行為のパクリです。さすがに全員分買うと大変な額になるので、程よい個数のセットにしました。亀屋万年堂のお菓子は、ナボナにしてもママンミールにしても、プレーンなものの方が美味しく感じるのですが(私見です)、詰め合わせる場合は期間限定の味が優先されるのを初めて知りました。

ナボナといえば「お菓子のホームラン王」のキャッチフレーズで巨人の王選手(当時)がCMに出演していたことで有名なはずなのですが、関東ローカルのCM、かつ亀屋万年堂自体が東急線沿線を中心に店舗を出しているため、東京以外の出身の人は「ナボナ」という固有名詞にそもそもなじみがないようです。自分自身、神奈川出身だけど「ありあけのハーバー」が横浜銘菓であること、全然知らなかったしなぁ。

これまで一番好評かつ手応えのあったおやつテロは、大阪にある芋菓子屋さん「嶋屋」の「ポテト」です。大学いもっぽいけど大学いもとはちょっと違う。うまいです。

三寒四温

 昼間は妙に暖かく、夜になると風がとても強くて非常に寒かった。直接はでくわさなかったが、時折雨音も響いていた。朝の天気予報の雨マークを見逃したため、まったく傘を持つなんていうことを考えていなかったので非常に困った。雨はだいぶひどかったけど帰り道には上がっており、時折風に吹かれた電線からなのか、頭上にもかばんにもぱらぱらと雨のしずくが落ちてきた。
 昼休みに写真の練習をしようと考えて、デジイチを肩から下げて会社に行った。昼にカメラを持って外に出たときは晴れ渡っていた空が、みるみるうちに雲に覆われ、慌ててカメラを構えていると太陽の光は雲の中に消えてしまった。結局何の写真も撮ることなく、そのままカメラを持って帰った。取れ高がないのはさみしいものではあるが、天候相手に撮れないものはしょうがない。今日は太陽の光が当たるものを撮りたかったと思ってカメラを手にしていたのだし、自分の思うようにはいかないタイミングもある。撮りたいものを撮れないのならばあきらめよう、と考えるけれど、晴天を目の当たりにしていただけに少し悔やまれる。 天気が変わりやすく、気温の差も激しい今の時期は、毎日毎日暖かさと寒さが交互に訪れ、その間隔が徐々に伸びていって、春が到来する。今は梅の花が咲いていて、そのうち桜の花にバトンタッチして、桜前線が南から徐々に北上していって、気づけば春がきている。あっという間に春は過ぎて、冬にしっかり着込んでいたモンベルのダウンのことなんてきれいさっぱり忘れるくらいのさわやかな季節も、梅雨も、暑い夏もやってくる。そのことを私は毎年の体験から知っている。知っているけれど、今はとにかく寒さが身にしみるし、寒くて強い風が吹く中を歩くのは結構こたえる。ときどき吹くような生ぬるい風はすぐに寒い風に取って代わられる。もう少し早く暖かい日が続くようになるといいなと歯を強くかみあわせながらぼんやりと思う。

名前

 昔、自分の名前の由来を親に聞いてみたことがある。しかしなかなか要領を得ない。「いくつか候補を挙げた中で一番しっくりきた」「響きがよかった」「画数がよかった」「作家の三浦綾子さんと曽野綾子さんにちなんだ」など、何度聞いても複数の理由が違う組み合わせで出てくる。実際子供の名付というのはそういうものだと思うけれど。
 三浦綾子さんと曽野綾子さんにちなんだ、というのは、後付けで「プロゴルファーの岡本綾子さんにちなんだ」のような話も出てきたのでどこまで本当なのかよくわからない(岡本さんはプロデビュー1年目の1975年、つまり私の生年にトーナメント初優勝を果たしているので、ぎりぎりセーフといえばセーフ)。曽野綾子さんは今でこそいろいろ言われる人になってしまったけれど、当時はやはり著名な作家ということで、親は三浦綾子さんの著書ともあわせ何冊か読んでいたようだ。中学生になった頃に縁あって何度も読み返すようになったのがたまたま三浦綾子さんの「氷点」(続刊合わせ計4冊)で、そのときになんとなく、名前の由来に近い人の書物を読むようになったんだな、と思った。
 後に私が結婚して、名字が変わったとき、私の新しい姓名について母親が「なんだか文化人みたいな名前ね」と感想を述べた。娘の結婚に際し特に賛成意見も反対意見もなく、そもそも「結婚しない」と言い続けていた娘がまさか結婚に至るとも思っていなかった母親が、珍しくそんなことを言ったので、今もしっかり覚えている。その後、私は巡り巡って、広い意味で「書き物」を生業とするようになった。記名で連載を持たせてもらったのも結婚後の名字でのことだ。「文化人みたいな名前」という母親の言葉は、相当広く捉えて予言のようなものだったのかもしれない。
 とはいえ、私が覚えている結婚に関するもう一つの母親の発言は「たばこもお酒もやらないなんてつまらなくない?(夫に向かって)」。

教養

 先日「編む庭」というイベントに登壇させていただいた際、Web編集者にこれから必要なものは?という質問に対して「教養」と答えた。この答えを用意するまでにだいぶ迷い、「写真や動画の技術」「センス」「日本語の基礎力」など、必要だけど無難なものをいろいろ考え続け、何か違う、自分なりの指針がもっとあるはずだ、と再度考え直して、「教養」に落ち着いた。自分に対してもハードルを上げることになってしまった。
 Webにあふれる情報は本当に玉石混交で、それは先般のキュレーションメディア問題よりもっとはるか昔からある現象だ。それが玉なのか石なのかは情報を受け取る側の知識によって大きく変わるし、時代によっても大きく変わる。私は未だに、鎌倉幕府が作られた年を「1192年」からアップデートし損ねている。それでも「確か鎌倉幕府樹立の年代は解釈が変わったはず」という引っかかりさえあれば、正しい情報を求めるためにもう一歩先に踏み出すことができる。
 少しジャーナリズムに触れたことがある人は「情報は疑うもの」というフレーズに触れたことがあるかもしれない。例えば専門性を持つ人にインタビューする機会があったとき、インタビューイが話すことをそのまま文字に起こして記事を構成する人はあまりいないだろう。インタビューイはコンピュータではなく、正しいことを即座に言ってくれる機械でもない。その原稿と対峙するときに「この情報は本当に正しいんだっけ?」と思って調べる。調べて記事に反映する。インタビューイが例え間違ったことを言っていたとしても、それはインタビューイのミスではないし、聞き手のミスでもない*1。そこで記事をより良いものにするのが、「教養」というものへの向かい合い方なのではないかと考えている。

 

*1:おそらく「オーラルヒストリー」の分野ではきちんと体系立ったことが行われているのだと思うので、そのうち本を読んでみたい。

800文字にしました

これまで原稿用紙1枚分・400文字で1記事書くというのをなんとなく続けてきましたが、このたび2枚分に倍増し、文字も800文字と倍にいたしました。URLだけ400のままです。

もともとなぜ400文字というのを始めたかというと、以前文字数が決まった連載を持たせてもらっていたときに、規定文字数にきっちり狙った状態で文章を書くというのがあまりにも苦手で、文字数感覚を得たいと思ったのでした。文字数を決めたなかである程度読める文章を作るのは結構難しいです(とえらそうに言えるほどの力量があるかというとやや自信がない……)。

そんななか、以下のようなtweetを目にしました。



紙の編集をやったことはないのですが、週刊誌などでこれくらいのコーナーでこれくらいの文字数なのか、これは書き手が結構大変なわけだ、と体感としてわかりました。ある程度騒動の全体像が見えている状態、かつネット的コンテクストが共有されていない雑誌に載せるために紙に落とし込まれた、というのを目にすると、本当にすごいコラムニストなのだなぁとしみじみ思います。

というわけで、400文字縛りでやってきたのを800文字に変更して、新たに文字数の意識獲得を図っていきたいと考えました。試しにこの記事で800字を念頭に置いてやってみていますが、途中tweetをはさむという変則的な形(文字数はその分もカウントしています)というのをさておいてもやっぱり難しいものですね。